東京エスメラルダ

オトナによるオトナだましぃな日記 @田舎

哲学を感じない「令和」。シャンシャン命名に通ずる新しさとトランプ大統領の就任演説に感じたような残念感

「令和」に決定した。昭和生まれからすると3代またぐことになる。子供の頃の明治生まれは、とんでもない大昔の年寄りの感覚だったけど、今まさに自分が大昔の人間になっちまった感じ。あせりや寂しさが加速するガラスのハートのアラフォーです。

 

さて、令和ですが。

令という漢字、れいわ(REIWA)という言葉の響きなどは、若干違和感を感じながらも新しさと心地よさを感じた。それは上野のパンダの名前が香香と書いてシャンシャンに決まった時の「へえ!いいじゃん!」という感覚に似ている。

 

出典が従来の中国古典ではなく日本の古典、初の国書だったというのも悪くはないと思う。グローバル化の中で必要なのは他国で通じる語学文化やマナーの習得だけではなく、自分の国の素晴らしさや強みを打ち出さなければやっていけないし、そのためには自国文化の知識が必要だからである。

 

しかし。

 

首相が説明する、引用元となる歌や漢字2文字に込められた意味や思いは、聞いていて正直不満に感じた。端的に表現しかねるので書き連ねてみると、国の土台となる時代の呼称がそれでいいのか、心もとない、weak、などであろうか。

これが今の日本を象徴しており、そして首相の説明を聞いて”わあ素敵な名前”と思う人々がこれからの日本を作り、その果てに私たちはこの国においてまもなく老後を迎えるのだと思うと残念であり不安が募ってくるのである。

この気持ちは、トランプ大統領の就任演説に感じた残念感や、未来への絶望的な予感めいたものに非常に似ている。

これが世界のアメリカの、大統領の、就任一発目の演説か?中学生のような平易な言い回し、とにかく金(しかも目先の小銭)の話、再び偉大な国にする(今は偉大じゃない)と。

世界のアメリカの大統領の就任演説とは、他国民が聞いても惚れ惚れするような、リーダーシップに溢れ、たとえ喫緊の課題が山積していようともあえてそこにはふれず、ただ未来を指し国というものの展望を語る重要な声明、それが就任演説ではなかったか。

それがトランプの演説を聴いて、U.S.A.!と憧れていたティーンネイジャーが、「なんや知らん間に実は無教養で貧乏ったらしい国に成り下がっとるやんけ!」と大ショックを受けた。今この国は弱いんだ、アメリカがこんな状態で世界は日本はこの先どうなるんだろう?と軽く絶望を覚えた。

 

それに似た残念さと不安をこの「令和」の説明で感じたのである。

以下、首相声明抜粋

「この令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は・・・(中略)・・・国書であります。悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。」

 

私はこれらを元号の名前にふさわしいとは思わない。(全文視聴した上で)

耳に心地よく、美しい言葉が並べられているが、国の時代の名の根拠とするにはあまりにも『ふんわり』していると思う。

次の時代が目指すべき国のあり方を「心を寄せ合う」とか「美しい自然」とか「見事に咲き誇る花のように」とか「それぞれの花を大きく咲かせる」とか、正直言って妙に乙女チックで婦人向けチャリティーパーティのご案内みたい。

そこには重みがない。哲学を感じない。薄っぺらいキラキラネームのようである。上野のパンダなら心地よい響きやなんだか美しそうな雰囲気で良いが、国の時代の名前の根拠にはふさわしくない。

中国の古典がお好きな方ならよくご存知だろうが、漢字にはそれぞれ日常で使っているより深い意味がある。元号というたった2文字の中に国づくりに対する哲学をこめねばならないというのに、世界に一つだけの花的なノリで本当にこの国は大丈夫なのか?

明治大正昭和平成のそれぞれの元号の出典と意味と比べても、哲学を感じるかという点においては完全に見劣りする。というか、カテゴリーが違うとすら思う。

 

時代に込めた思いがそんなもんなのかい、それが今の日本なのだなー。