東京エスメラルダ

オトナによるオトナだましぃな日記 @田舎

ウイルス禍:本来なら・・・だったはず、と思うのをやめることから始めよう。

外国の国際政治学者が報道インタビューの中で、

本来なら・・・の成長が見込めたはずだった、

本来ならもっと・・・になっていたはずだったという言葉を繰り返していました。

本当にそうだと思う一方、

その考え方では今後前に進めないと気づいたことを書きます。

 

本来なら・・・だったはず、という考え方をやめることにした

このあと世界や自分の生活はどうなるんだろう?

と誰もが不安になりますよね。

私が自分に対してまず最初に取り組むべきだと思ったのは、

この「コロナのことがなかったら本来はこうなる予定だったのに」

という考えを捨て去ろうということでした。

 

ウイルス禍がなかったら・・・

・毎年友達と旅行に行ってたのに

・この時期は一番仕事が忙しかったはずなのに

・楽しいキャンパスライフをおくってたはずなのに

・好きな仕事を続けていたはずなのに

・そろそろ子供を作る予定だったのに

・家を買う予定だったのに

・オリンピックに向けて独立して儲けるはずだったのに

・貯金して来年には結婚するはずだったのに

・子供を大学に生かせる予定だったのに

 

上記のような、

今まで当たり前にしていてこれからも当たり前にするだろうことが、

かなりの確率でできなくなり、

諦めなければならないことが山の様に出てくるのではないか。

 

冒頭の政治学者のように、

私たちが「コロナがなければ本当は・・・だったはずなのに」と

ことあるごとに過去を振り返れば、

その先にあるのは不幸しかないと思いました。

生きているうちに努力で取り返せないことが実際にあります、

執着を断ち切る努力をした方がいい場合があり、今はそのときにあたると思います。

 

過去にしがみついて残念がるクセをつけては前進できない、

前を向いて対処するしかないのですから、

まず「本来なら・・・だったはずなのに」

と考えるのをやめることから始めようと思うに至りました。

 

世界は変わるかもではなく、すでに変わってしまった

たぶんこのように先が見えないまま長引くことが、

みんな認めざるを得ない状況になってきたのではないでしょうか。

バブルもリーマンショックも乗り越えた年長者さえ、

経験したことのない未曾有の緊急事態だと言い、

世界屈指の投資家も安定株のいくつかを全て売却し、

各専門の学者も人類にとって何度目かの大きな変革のときが来たと発言しています。

 

大変だ、大きく変わるかも、ではなく、

否応なく強制的に変わらなければ生きていけなくなる、という意味だと理解しています。

 

薬やワクチンは時間が経てばできてくると思うんです。

インフルエンザ同様、生き物なので殲滅か共存しかない。

 

ただこの度は経済に与えた打撃が大きく、

人との接触が制限されてしまったという点で、

社会生活の仕組みそのものが、

戦前戦後のように、インターネット前後のように、

根こそぎ変わってしまうのでしょう。

 

物もデータも外国でも24時間便利にやりとりできていたけれど、

使い捨てではなく使いまわせるもののほうがいいんじゃないかとか、

今必要最小限な物だけ都度持ち変えることから長期計画的な保有へと見直そうとか、

やっぱりある程度自国で生産・管理したほうがいいんじゃないかとか、

便利さの追求よりリスク分散を優先させるべきなんじゃないかとか、

自由=収集がつかなくなったので公的な権限を強める方が良いのではないかとか、

大きな社会の仕組みの見直しが前提となり、

それによって今まで当たり前だった日常生活が変わり、

私たち個々のライフスタイルや将来設計も大きな変更を余儀なくされるでしょう。

 

思えば昭和からいろいろ変わったけど適応して生きてるんだよー

なんだか不安感で鬱になっている人もいるし、

DVやアルコール依存の増加が加速しているとも報道されています。

 

おじさんおばさんちょっと、ちょっと待って。

平成っ子なら人生さあこれからっていうときに、

こんな経験したことのない大きな災難という壁にぶち当たって、

どうにも対処できないこともあるでしょう。

 

しかしアラフォー以上の昭和育ちの私たちは、

そこまで取り乱さずに対処できるはずだと思うのです。

 

そのくらいの年齢になれば背負っているものや責任は大きいでしょう。

そして体力や精神力は確実に衰え、実際キツいです。

 

でも今までも生きてこれたじゃないですか。

昔はもっといい加減で不平等で閉鎖的で物資もなく遅れてて選択肢も少なかった。

受験でもバブルでもリーマンでもリストラでも、

ネット社会や結婚に乗り遅れた時も何回も絶望してきたはず。

事故ったり病気になったり自然災害に遭ったり経済が困窮したりあったはず。

 

でも生きてきたよね。

まず生き残れれば、そのあとはなんとか適応して来られた、いや適応してきた。

 

失った過去を振り返るのは一旦置いといて、

現実に対処することに全エネルギーを注くことを意識して、

今回もまたどうにかして生きていくだけだと腹を括ろう。

 

連休はそのための精神的な準備期間だったと思ってまた明日に立ち向かおう。