東京エスメラルダ

オトナによるオトナだましぃな日記 @田舎

専業主婦という立場がそんなにダメだとは思わない2:不景気時代のリアル

一億総活躍・人生100年時代の号令のもとに本職以外に副業もやり子育てもして、とにかくフルフルで働くのが当たり前だ〜みたいな価値観が主流ですよね。

専業主婦に憧れていても大きな声で言いにくくありませんか?人生ナメてるとか向上心がないとか怒られそうです(笑)

 

婚活世代の人が思い描いている専業主婦の理想ってありますよね。

私も親がバブル世代の人たちですので、結婚して子供ができたら仕事を辞めて育児に専念し、子供の手が離れたらパートにでも出ようという考えでした。

実際は今の夫(事実婚)にアラフォーで出会うまではずっと働いていて、3年ほど前に夫の都合で田舎に引っ越したのを機に専業主婦になりました。

 

専業主婦になりたいと憧れても別にいいと思うんですよ、でも億万長者のマダムみたいなのを想像してたらちょっと違うかもしれないし、そんなお相手の出現を待っていたらいつになるかわからないです。

少し現実的に考えるとして、不景気の時代にさほど裕福でもない普通の専業主婦を3年ほどやってみた私のリアルな生活を読んでみてください。

(子供なし、夫婦2人の生活です)

 

やっぱり普通の専業主婦の一番の特徴は、時間はあるけど自由になるお金がないということです。

 

子育てや介護がない場合は自由な時間がいっぱいあります。こんなにゆったりとした時の流れを感じるのは小学生以来かもしれません。

私は仕事が早いタイプだったのですが、専業主婦になってゆるゆるの時間軸の中で過ごしているうちにめっきり頭の回転や段取りが遅くなりました。社会の流れに乗っていなければ、こんなに平穏でいつものテンポの繰り返しで生きられるのかとしみじみします。

なんでもできるんだ!と最初は解放感でいっぱいでした。平日昼の図書館とか、冷たい雨の朝9時にリビングでコーヒーを飲むとか。もう歳ですので働いていた頃は休日はヘロヘロでしたから、今のようにマイペースで日常を過ごせるってそれだけで体も心も整う感じがします。

長らく止めていたいくつかの趣味を再開しました。資格を取ろうとか上手くなって商売にしようとか高い目標は皆無で、ただ好きなことを好きなだけできる幸せを享受しています。私はインドアの趣味が多いのですが、世の中がコロナ禍になったタイミングでちょうどよかったです。

実家に電話して親のご機嫌伺いをすることも増えました。こんな世の中でも、お互い安全な屋根の下でご飯を食べられる環境で、生きていられるだけでありがたいねと毎回同じことを言います。長く1人で生きてきたからこそ、今どれだけ厳しい時代か実感できるのです。今の生活を与えてくれて本当にありがとうと、夫に感謝の気持ちを言葉で伝えたりもしています。

 

自由な時間がある代わりに、何をするにも経済的な縛りが発生します。

 

まずお金の性質が独身時代や共働き時代と違います。

お金は基本的に夫からの預かり物になります。私のような普通の家庭はブラックカードで自由に買い物して何も文句を言われないような生活ではありませんし、どんな裕福な家の専業主婦のお友達でもそんなことはしていません。

お金持ち夫でも、カード明細や支出を細かくチェックして妻に必要性を尋ねたり小言を言ってくると聞いたことがあります。高収入夫なのに贅沢費はあまり認めてもらえない友達の趣味はスマホゲームで、夫がスマホWi-Fiの請求書だけは明細まで見ないから、という理由でした。裕福でも夫の管理下のお金であることに変わりないのですね。

実際、コレ今月の生活費と渡されたお金でホイホイ遊びに行ってる妻を私は知りません。専業主婦の先輩である友達たちは皆、生活費と自分のお金を厳密に分けて考えています。よく有閑マダムネタにある、今日のお茶代はアタクシが払うわ〜と言っているそのお金は生活費ではなく妻個人の資産であることが多いです。

10歳くらい年下の専業の子にお茶を奢ろうとしたら、それってお姉さんのお金?って聞かれたことがありました。ドトール代くらい払わせてよって軽く答えましたが、生活費から出すなら割り勘にしてとキッパリ断わられました。彼女は年下ですが私より専業主婦歴が長く、おお!これが専業主婦の矜持というものか!と勉強させていただいた気分になったことを今でも覚えています。

 

お金がないのではなく、夫から預かっている金だという意識が己を律しようと縛るのです。

 

暇な昼の街角で、新作の靴を見て買うこともできるしカフェで旬の果物のタルトを楽しむこともできます。でもその予算はおそらく生活費には含まれていないでしょう。事前か事後に夫に買って良いか確認したり、家計をうまくやりくりしてできた余裕で時折楽しむものだと思います。

自分で稼いで自分で予算管理をして自分で判断してお金を使っていたときとは違います。経済的な他人の管理下で楽しめる生活レベルかどうか、そういった生活で楽しめるかどうか人によって向き不向きがあると私は思います。私はまだおねだりしたり、買っていい?と夫にお伺いを立てることに違和感を感じますし、細かい支出に口を出されるとイラッとして自分で払うわよ!と言いそうになりますが、これが専業主婦なのだ、精神的には平等でも経済的な管理下に置かれるというのはこういうものなのだと日々習得しています。

 

不景気の今、専業主婦を目指すならある程度の自分の蓄えがあったほうがいいと私は思います。ちょっとした贅沢をしたい時は当然ありますし、実家対応など急にまとまったお金が必要になる時もあります。お金の流れってその人を裸にするようなプライバシーの極みで、それを夫に管理されるような状態はやはり多少なりともストレスを感じます。小言を言われなくても、恥ずかしい使い道でなくても、いつ何にどういうお金を使うかということは他者に知られないに越したことはありません。たとえ習い事の帰りのスタバ代程度でも。

お金の使い方はプライバシーや精神的な自由につながっています。なので専業主婦生活に入る前に少しは自由になるお金を作っておいたほうがよろしくってよ、と切におすすめをいたします。

 

あとは「社会との関わり」が減ったことのリスクですかね。

うちは子供もおりませんし義実家との付き合いもあまりありません。仕事をしていない今は、地元の友達を除けば社会との接点ってスーパーやコンビニの店員さんやかかりつけ医くらいしかありません(笑)思えばみんな結局ママ友とか子供関係か仕事関係のつきあいがほとんどです。コロナ禍だということも影響していますが、夫婦2人だけでほぼ毎日家にいる生活が3年です。自分の中で社会性が失われているのではと怖くなります。

そしてそんな環境に慣れてしまって、その方が楽だと思ったりしないか少し心配しています。あまりにも社会との接点がないので、コロナ禍が収まってパートにでも出ようかとなった時、うまく面接で話せない気がするし、そもそも仕事を上手にやりこなしたり同僚や客とコミュニケーションを取ったりできる気がしないのです。学生さんや若い社会人の方が、コロナ禍で学校や職場に行けなかったり経験が積めなかったりコミュニケーションの機会が少なくて、精神的に変調をきたしている話はよく聞きます。それと似たような不安だと思います。

今まで自分を形成していたのが、私の場合は子供がいないのでほぼ仕事に関わることや人だったのだなと実感しています。子供と仕事を取り除いたら私は何者なんだろうと社会の中での立ち位置がわからなくなってしまいました。まあ専業主婦のおばさんなんですけど(笑)

社会性ってやっぱり家庭外で習得し維持されているものなんだなと気づきましたし、社会とか変わってないと失われていくんだろうなと感じます。このままでは自分が社会性を忘れた違う人になってしまうような気がして、コロナの状況が落ち着いた時に習い事に通うことにしたんですよね。自由になるお金は少ないけれど、今は社会性が劣化していくのを食い止めるようなことを何かしなければと、なかば使命感に突き動かされて人と関わるようにしています。

育児もしながら仕事も続けて昇進したりする華やかな友達を見て、なんというか、なんだか置いて行かれたような気持ちになることはあるだろうと予想していました。専業主婦という立場が空虚だとは全く思っていないのですが、子なし・仕事なし(&コロナ禍という特殊な)環境が重なるとマジでガラパゴス化しちゃうぞって思っていて、危惧に近いよくわからない焦燥感が生まれてきます。

たぶん定年後に燃え尽きて老後をどう生きていいのか見失うのってこんな感じかなと。趣味をたくさんやって忙しくすれば解決とかではなく、頭の中の生き方をシフトするというか、今までの自分は会社とか子育てとかの軸で生きていたけど、今は違う方位磁石を使ってるんだみたいな確認っていうか。今まで使ってきた日本地図で現在地がわからなくて不安になったけど、今はもう日本地図は必要なくて海図でよし、今からは航路だっていう切り替えができるかどうかというか、切り替えをやってる最中のような気がします。

専業主婦というのは単に仕事をする辞めるという話ではなく、思ったより大掛かりな意識変革が起こったり必要で、そういう生き物?生き方?なんだよなぁと3年暮らして思いました。

 

今空前の不景気で、これからしばらくはもっと悪くなると私は思っていて、その中でもう若くない自分がどうやって生きていくのかって考えたら、ひとりの苦労よりふたりの苦労の方がまだ種類的に背負えるかなと思うんです。

でも、婚活中の専業憧れる〜ってお花畑の人は、リアルに不景気な中での生活を想像してみてほしいんです。経済的に依存しても信用できる相手なのかとか、そんな生活の中での自由や不自由を受け入れるのに自分自身向いている性格なのかとか。

年齢とか出産予定とか年表に書き出すくらいリアルに想像してみてください。独身の方が自由、豊かでいられるってこともあると思います。共働きの方がリスクが低い、より多くを望めるってこともあると思います。

専業主婦の生活は原則、自分が家族に合わせる前提、経済的な管理下に置かれる前提、そして家族を支え導かねばならない稼業であり生き方です。そんな生き方を目指しているのか?幸せだと思えるか?という話です。私はアラフォーまで働いたのち、これからは自由な時間を優先した生き方をしたいと思って実行し、今の環境が幸せだと思えます。

仕事や専業生活を、いつだって始められるしいつだって終えられる、私はそういった選択肢が手中にあることが一番の贅沢だと考えていて、そういう生き方を選べるようになるために過去の勉強や労働や1人の時間があったと思うし、今専業主婦をやっていることのなにかが今後の選択肢の布石の一つになればベストかなと思って生きています。

空前の不景気で中高年の仕事がますますなくなるのではというリアルな不安要素は絶対的にありますが、だから必死で稼ぐ方向に努力するのか、コンパクトで低コストな生活にシフトするのか、絶対的な環境下でも自分の選択でやっぱり生き方は変えられると私は思うのです。

 

不景気な時代の専業主婦という生き方をどう貫くか、

まだまだ考え続けねばなりません。