東京エスメラルダ

オトナによるオトナだましぃな日記 in Tokyo

アラフォーになって捨てたものと残したもの

リアルに、アラフォーを一つのターニングポイントとして、ライフプラン的にいろんなことを取捨する時期だと考えてました。今でしょ、と断ち切ったものと手元に残したもののことを書きたいと思います。

 

◆安定を捨てて時間を取った

どんなに奔放な人生を送って来た人でも、守りに入りたくなる時期ではないでしょうか。できれば結婚し共稼ぎで正社員で65歳まで働いて退職金をもらって...と考えたくなるものですが、私はそのような思考を捨てました。

アラフォーで大事な人の死や病気や別れを立て続けに経験したことにより、残された時間はもう半分であること、それも場合によっては明日にでも簡単に失ってしまうものであることを知ったからです。

友達は、子供が出来た瞬間に自分の寿命とその間に子供に何をしてあげられるかを計算したそうです。子供を産んでない私にはそういうことを考える機会が最近までありませんでした。長生きすることを前提にみんなと同じ道を歩もうとし我慢をして老後の不安を少しでもマシにすることばかりをひたすら考えていました。

が、そもそもそんな老後なんて来ない可能性だってあるんだ、時間は有限であるんだと痛感し、プライオリティをお金や安定ではなく時間に変えました。何よりも自分の時間が大事だと。まず、社畜から降りました。

1日8時間以上は働かない、家に仕事を持って帰ったり、時間外にスマホなどで対応しなければいけない仕事や職場は辞めました。その中で得られる収入でコンパクトに暮らすことを習得し、その中で豊かに生きることを幸せだと思えるようなライフスタイルに変えました。

 

 

◆他人の価値観を捨て、自分の価値観を取った

自分ではそんなつもりもなかったのですが、「普通」とか「一般的」といった、他人から見た価値観に縛られているなと感じるようになりました。

専業主婦で子育てをやっている友達の子供やママ友話を聞いて、昔ならそう言う話ができない自分に焦りを感じていたこともあったのですが、だんだんと他人の人生と自分の人生は違う、みんな違うって自然と思うようになりました。

精神的な成熟の過程であることだと思いますが、それでも親の期待とか周囲の言葉に影響を受け続けて、普通や一般的に向かって目標を立て続けていたんだなと。

それって40になって手に入らなかったから諦めたんでしょ?って言われるかもしれませんが、そう言われればそうかも知れないけど、実際真剣に平凡な幸せを求めていたのか?それに向かって必死に努力したのかと言われるとそうではなく、正直に心に耳を傾けたなら、自分にとってはそれほど大切なことではなかったのではないかなと思います。

遅いかも知れませんが、他人からどう見えようと私の人生だから、私が良いと思ったことをやりますよと、誰にでもなく自分自身に向かって宣言したようなものでしょうか。

 

◆不動産を捨て、動産を取る

身動きつかなくなるようなモノは持たない、と言うことでしょうか。そこに一生根付いて生きることを選べばまた違ってくると思いますが、少なくとも今は流動的に生きているのでマンションを買うと言うようなことはしないです。

広い実家も不要なので親にも、便利で小さいマンションか権利付きの老人ホームに買い替えを進めているほどです。もっと言うと田舎のお墓も引き払ってくれと頼んでいます。おそらく子供はもう望めないので、そういう人生の利点は何かと考えたら、遊牧民のように暮らせることだと思ったのです。

クローゼットに入らないほどの物を持つことも辞めました。素敵なものはいくつもいらないと思うようになり、どうでもいいものは使い捨ての安いもので回して行くことと、買うときはなるべく良いものを買うようになりました。使ってない重い皮のブランドバッグも売ってしまいました。現金化。

通勤服はユニクロで十分です、昔はイタリア製の繊細なワンピースとか瀟洒な靴を身につけていましたが、混んだ通勤電車で汚いリュックをこすりつけられたり踏まれたりしてバカみたいと思いました。満員電車に乗って勤労する自分は通勤にはユニクロで相応しいのだと納得です。その代わり、指輪やピアスなどを買うなら流行りのアクセサリーじゃなくて小さくても鑑定書がつくちゃんとした宝石にしています。

長く使える上質な良いものと、使い捨てのどうでも良いもの。ローンはなるべく抱えないで現金や金融商品で流動的に。なんとなく自分は定住を求めてないのかもしれないと薄々感じてしまいます。大きなものや多くを持たないって本当に身軽!

 

◆男性への甘えは捨て、条件は残した

依存心は強い方だったと思います。昭和の時代に育てられましたから、女性は家でご飯作って待ってるのが幸せ、みたいな価値観でした。優しくて私の望みを叶えるために努力するよと言ってくれるような男性が好きでした。

でももうね〜(笑)男性でも結局は女性がサポートしなければやっていけないものだとようやくわかりました。女性も経済的にできるだけ自立してたほうがいいし、ペットみたいな生活は案外不自由だと専業主婦のお友達を見ていても思います。

私の足りないところは補ってほしいけど、私も相手の足りないところは補って守ってあげるよって思うようになりました。

ただし、鉄板の条件は変えませんでした。頭がいい人がいい。地頭が良く物事の理解の要領がよく、これがダメならああしようとどんどん前向きに切り開いていける頭の回転がいい人が。

それと経済的に自立していること。一時的であっても私が生活を支えたり男性にお金を貸すことは絶対ない。そのような事態になったら、どんなに好きでもその時点で別れます。男のビジネスの世界で負けるヘタレには魅力を感じない。若い頃なら二人三脚で支えてたと思いますが、もう今からは共倒れのリスクを避ける意味でも手を出すべきではないと思っています。

 

◆結婚という契約に対するこだわりを捨て、居たい人と居る事実を取った

子供を持てないかもしれない年齢に差し掛かったときに、ふと「じゃあ入籍ってしなくてもいいんじゃね?」という考えが湧いて来ました。

入籍、法的な結婚にこだわっていると、絶対後戻りできない、失敗しちゃいけないような気がしておつきあいの決断もなかなか出来ませんでした。ゴールが壮大すぎてスタートすら切れないようじゃなんの意味があるんだろう?って自分にツッコミを入れたのを覚えています。

前項の寿命の話とも関わってきますが、そんなこと言ってる間に老いて一人で死ぬ事になるんだと思ったので、あまり先のことまで難しく分析しすぎず、いま好きな人と一緒にいる幸せをいますぐ手に入れる事にしました。

そうして今の彼と出会い、好きだと思ったからすぐにおつきあいして、続いたので同居する事にしました。婚約ではなく同居です。ただのパートナーシップです。遠い未来の約束などする気もありません。すでに互いの仕事や健康や親の介護問題も出て来ていますが、出て来たときに話し合って協力し合える関係であれば、発生ベースで対応していけば良いと考えています。

一人の方が絶対自由で気楽です、正直に言うとこの年齢からの男性との暮らしは面倒な事だらけです。ケンカすると死ぬほどうっとおしいです。でも、長い人生、長いようで短い人生、いつでも一人になれるし、最終的には一人になる人生です。誰かと分かち合う人生を今この年齢で決断して良かったと思います。

 

 

なんかプレ終活っぽい色合いもありますが(笑)

決して未来を悲観しているわけじゃないのです。

40になったし、今後の行き方をシフトチェンジするいいタイミングだと思った。

で、今までの「普通」や「一般的な幸せ」や若い頃の価値観が、

うーん、ちょっとなんか違ってきてるかもしれないと気づいていました。

定年後の長期計画もいいけど、

5年先くらいの短・中期計画でもできることがあるんじゃないかと。

 

棚卸し、してみて下さい。

一度きりの人生が、劇的にドラマチックに感じるかも。