最近、知人が九死に一生を得ました。
Kさんは良く言えばのんびり屋さん、
悪く言えば問題を先送りにするタイプの人で、
結婚もそのうち縁があればね、いい人がいればね、と先送りし、
ダイエットも運動も休肝日もちゃんとしなきゃいけないんだけどね、と笑い飛ばし、
50歳を過ぎても独身で、健康診断でガンが見つかり、大手術することになりました。
一命は取り止めたのですが、
仕事も遊びも経済的にもかなり制限されKさんの生活は一変してしまいました。
Kさんはそこで初めて知りました。
自分の人生は有限だと、自分は独りぼっちのまま死ぬかもしれないと。
友達に言われるうちに生活習慣を見直して不摂生を改めればよかった、
結婚もしておけばよかった、
精神的な支えとして恋人くらいは作っておけばよかった。
いくらでもチャンスはあったのです。
お見合いの話も合コンも自分が積極的になれば何かは変わっていた。
数年前の健診で注意されたときにお酒もタバコも減らせば簡単に済んだ。
でもKさんは、
いつかね、
そのうちね、
そうは言ってもね、
なるようになると、
何も手をつけず流されるまま何も行動しなかった。
そして今、ベッドで独り絶望しています。
私は直接の友達ではないのですが、
悲しい話だしKさんに前向きに生きてほしいと願っています。
でも、ちょっと冷たいかもしれませんが、
この人はそんな目に遭ったのに、まだ行動しないの?と残念にも思うのです。
死なずに済んで強運だ、病気も快方に向かっているし仕事も細々続けられる。
考え方=生き方になってしまうと思うのです。
先延ばしにするだけしていよいよ進退窮まれば、
今度は『昔は良かった』と後ろばかり向いて萎縮しているなんてもったいない。
でも、Kさんのように何も行動しないで、
そのまま変化なく今の状態が続くのだろうと思ってる人って多いと思います。
先のことなどなるべく考えたくないのかもしれません。
考えたくなくてもいつか厳しい状況は訪れます。
現にKさんにはやってきました、キョーレツな形で。
孤独や病気や死からは誰も逃れられない、
ならばどう生きるか?という発想を私は持ちたいです。
もうアラフォーには時間がない、
それだけははっきりしている事実だと思っています。
迷ったり不安になったりしてる暇はもうないのだと。
全力で行動してももしかしたら時間が足りないかもしれない。
だったら独りでベッドで泣いてる場合じゃないと思いませんか?
会えるうちに友達に会っておこう、
今からでも効果があるなら習慣を改めよう、
無駄なうわべだけの付き合いはやめよう、
やりたかったことを今始めよう、
好きなら誘ってみよう。
人生は有限だと気づけば、やらない理由はもはやないと思うんです。
4月は駆け上がってゆくのにいい季節です。
いつかそのうちではなくて、今年中に目標達成を誓ってしまいましょう!